翻訳家・通訳インタビュー

翻訳家 村松健吉さん

Q:翻訳を始めたきっかけは何ですか?

就職して初めの辞令は国際部への配属で、必要に迫られ翻訳を始めました。未だFaxのない頃で、最初の仕事はテレックスによる文書の送受信です。タイプライター配列を学び、辞書を調べながらの作業で、プロの仕事とは言えない状態でした。その後、海外の訴訟で弁護士のアシスタント(パラリーガル)として大量の訴訟書類の翻訳を手がけるようになりました。

Q:翻訳に役立つ語学力をどのようにしてつけましたか?

米国の大学を卒業しているのですが、自分の専攻とは関係なく興味本位で日本語学科の翻訳の授業(3単位)を取ってみました。教授はハーバード大卒で旧漢字を書き流暢な日本語を話す白人で、翻訳の難しさ、日本語という言葉の深さを感じたことが収穫でした。この授業では主に明治期の小説の日英翻訳を学びましたが、古典を読むことも翻訳に役立つのではないかと考えています。

Q:翻訳に活かせる得意分野をどのようにして見つけましたか?

アメリカで訴訟事務業務をしていた頃(昭和時代)ですが、法廷で判事はコンピュータを使用し、弁護士もノートPCを持ち込んで公判をしていました。アメリカでは大量のドキュメントはSGML形式でデータベース化され、法律の世界は既にIT化されていました。裁判の速記録も非常に短時間で当事者は入手できました。ところが日本の裁判所は紙が主流で、すべてが非効率的でした。これからはすべてのドキュメントは電子化される時代になると確信し(今日、企業はeDiscoveryに対応できるストレージを構築している)、コンピュータ/データベースの勉強を始めました。ちょうど、アップルがMacの発売を開始した頃です。

Q:プロの翻訳者になるためにどのように仕事にアプローチをしましたか?

当時はコンピュータ関連の技術翻訳の需要が高まっていました。メインフレームからパーソナルコンピュータの時代に入ろうとしていた頃です。翻訳会社のトライアルを受け、IBMの翻訳を皮切りに、コンピュータソフトのローカライズなどを主に手がけました。その後、翻訳会社に再就職し翻訳部長として翻訳/DTP制作業務を行った後、独立しました。

Q:翻訳の仕事を長く続ける秘訣はありますか?

お客様から発注をいただく翻訳業務の他に自分自身がプロデューサーになれるのが出版分野です。長期的に翻訳の仕事を続けたいと考えて版元になる道を選択しました。自分が出版したい本を探し、出版権を買い、翻訳、編集、DTP、販売という一連のプロセスを外部に一切頼ることなくやってみました。もちろん、これをビジネスとして成立させることができれば、零細版元でも長く続けられるでしょう。近年、ドキュメントの電子化はさらに加速し、携帯端末で電子書籍から映画までのコンテンツが楽しめます。翻訳業界でも従来と異なったビジネスモデルやビジネスチャンスも生まれてくるでしょう。

Q:翻訳の仕事をしていて良かったと思うことは何ですか?

翻訳の仕事は、その時代時代の文化を創ることでしょう。たとえば、梵語Avalokiteiśvaraを玄奘三蔵は観自在菩薩(般若心経)と訳し、鳩摩羅什三蔵は観世音菩薩(観音経)と訳しました。この2つの訳語は決して誤訳ではありません。それぞれに人間の知恵では解明できない程の深い意味が2つの訳語にあり、時代を超えて人々を教化しています。翻訳者とは正にポール・レイ博士が言うCultural Creativesだと考えます。

Q:今の翻訳業界全般の現状を教えてください。

原稿用紙に手書きで翻訳文を書いたり、旧式のワープロで翻訳作業をする時代から、翻訳支援ソフトや字幕ソフトを活用した翻訳に作業環境がシフトしています。また、短時間で大量のドキュメントを処理する能力やDTP、マークアップ言語の処理能力も求められています。機械翻訳が実用レベルになるまでは、人が介在する翻訳は消えることはないと思います。

Q:翻訳者になりたい人へのアドバイスを聞かせてください。

某翻訳学校や企業に出向いて講師をしたことがありますが、本気で取り組む人には仕事がくるのではないでしょうか。受講した生徒さんの中には翻訳会社の社長をしている方もいます。自分の土俵を持つこと、そして何よりも好奇心を持つことが翻訳者としては大切な要素のように思います。



翻訳家 村松健吉さん
プロフィール
ハワイ州立大学、テンプル大学(アメリカ研究学部、政治学部)。団体職員、翻訳会社を経て独立。翻訳書に「デジタル著作権管理」「DVD解体新書」「秘密のない世界」「ナチュラルアドバンテージ」他。hanmoto.com(版元ドットコム)に参加して電子出版や将来のメディアを模索中。